忘却力という才能

 弊社は今、そろばんを使った認知症予防トレーニング「そろばん式脳トレーニング®」という事業で、社会の大きな課題となっている認知症で苦しむ方やその家族を減らしたいと思い、日々奮闘しています。

ボケたくない
物事や経験を忘れたくない

 こう考え、少しでも脳を鍛え、認知症を遠ざける活動が広まれば良いなと思っていますが、一方で、実は「忘れる」ということも人間にとっては必要な能力であるということについては、お話しておきたいと思います。

 「認知症」というのはご本人もご家族もとても辛いことは確かであり、老いと共に「忘却」への恐怖が募ってくるわけですが、「忘れる=悪」と短絡的に捉えてしまうと生き辛さに繋がってしまいます。私がこう考える、考えられるようになったのは、私の会社員時代の何気ない会話からです。

 もう20年以上前のこと。IT業界で働いていた私は最新の技術を常に勉強しておく必要がありましたし、色々な試験を受ける機会も多かったです。しかし、残念ながら、私は「記憶力」という点においては優れた能力を有しているとは言えません。遠回しな表現を避けるなら、物覚えが悪い、ということ。もっとストレートに言えば「記憶力バカ」と断言しても良いくらい、物覚えが悪いのです。

 仕事上、勉強しないわけにはいかない状況だったわけですが、プライベートで物凄く辛い事があり、間近に迫った試験の勉強も手につかないという時期がありました。これは私が55年生きてきて、おそらく最もキツかった時期だと思います。それでもなんとか会社には行っていましたし、自分がプライベートで思い悩んでいることを知られたくはなかったので、表面上はいつも通り、明るく振る舞っていたと思います。

 そんなある日の昼休み。当時は昼休みになると、同じ部署の人たちと5〜6人で昼食を食べに出ていました。その飲食店道中での会話。

「もうすぐ試験だね」
「そうですね」
「対策は万全?」
「ははっ、まさか。全然ですねー」
「でも、仕事もよく頑張ってるし大丈夫でしょう?」
「いやいや、ホントにダメです。僕ってホントに物覚えが悪くて嫌になりますよ」

 特に深い意味もなく、間近に迫った試験について話してただけなんですが、その後に言われた一言は私の心を大きく揺さぶりました。

「いいじゃない。いちいち色々なことを覚えてたら(辛くて)生きていけないよ」

 何気なく言われたことでしたが、辛い気持ちで思い悩んでた私には、今に至るまで忘れがたい言葉になっています。と同時に、忘れるという人間の持つ「能力」は生きて行く上ではとても大切なものだということを思い知らされた言葉でもあります。

 人間生きていたら誰でも一度や二度は、死ぬほど辛い目に会うこともあるでしょう。そんな時に、その辛い気持ちを、その気持ちの大きさのまま抱えていたら、確かに生きて行けないと思います。「忘却力という才能」は天が人に授けた必要不可欠な能力なのです。

 そして、私が行う、そろばん式脳トレーニング®の受講者の中には、認知症を患うご家族をお持ちの方もいます。そんなご家族に対しては、是非、こう思いやってあげて欲しいと願っています。

「今までの人生で多くの辛いことを経験してきたんだな」
「もうこれ以上辛い気持ちを抱えきれないほどなんだな」

と。

 老いて記憶力が低下しても、その方の尊厳を尊重することができる社会を、仕組みとして創ることは、高齢化する日本では益々必要になってくることは間違いありません。私個人としても、また、弊社としても、認知症予防活動を広めるとともに、そういった社会の仕組みづくりにも可能な限り取り組んでいきたいと思っています。

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