和田藤盛

どうでも良い話なんだけど、こういう話が好きな人もいるようなので・・・。

私の先祖のうちの一人は、三重県の鈴鹿市にかつてあった稲生城(いのうじょう)というお城の城主、和田藤盛という地頭(武士)。

ところが戦に負けて戦死。かろうじて生き残った子孫は、そのまま「和田」を名乗っていると、また、いつ、殺られるかわからないということからか、改名して生き延びた。ちなみにうちのお墓には「和田家改め倉田家」という文字が刻まれている。(倉田というのが私の母の旧姓)

戦況が悪化し、稲生城を追われた藤盛は、お寺に逃げ込んだ。しかし、敵が攻めてくるのも時間の問題。

子孫に何かを残さないといけない。

そう考えた藤盛は、表面に系図を書き、裏面には兵法を書いた巻物を残す。しかし、その巻物はしばらく日の目を見ることはなかった。

なぜなら・・・寺にいるのを敵が突き止めるのは時間の問題と考えた藤盛は、巻物を見つからないところに隠そうということで、襖のように内側が空洞になった戸の内側に、その巻物を張り、表裏を張り合わせて隠した。このことで、長年にわたってこの巻物は存在自体が知られることはなかった、ということ。

後年、お寺の人が大掃除か何かで、その扉の表面を剥いだところ、その巻物が発見されたというワケ。ちなみにその時、その巻物だけではなく、刀などの武器も色々出てきた。その巻物や武器は貴重な歴史の資料ということで寄贈してしまったけど、私は一度実物を見たことがある。巻物の表面の系図は源氏姓から始まっていたので、平安時代あたりからの系図となっていて、裏面の兵法は漢字だらけで何が書いてあるのかは全く分からなかった。

とてもローカルな話だけど歴史的には貴重な資料。ただ、それを目にしても、私は歴史には全く興味がわかなかった。ご先祖様には感謝してるけれども、今の自分の価値は自分自身で作っていくべきで、「過去は過去で別物」というのが根底にある私の思想だからかもしれない。

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