「わかる」と「できる」は違う!

「わかる」と「できる」の間にはとても大きな差があります。
そして、ほとんどの事は「わかる」だけでは不十分だったり、あまり意味を持たなかったりします。「できる」ようになって初めて意味があるということです。

例えば、100m走。
速く走ろうと思えば、ピッチを早くするかストライドを伸ばすかのどちらか、あるいは両方です。それは「わかる」と思います。
でも、理屈をわかっていても、それだけでは実際には速く走れませんよね。
その為に速筋を鍛えるなどのトレーニングをして、少しでも「できる」に近づくことが大切です。

あるいは数学の問題。
うんうん考え抜いても解法がわからずに解答を見ます。
そうすると、
「あ~そういうことね。わかったわかった」
これが「わかる」ということです。
しかし解答を見ずに答えを出せないと「できた」とは言えません。
この場合も「わかる」ことは大切ですが、これだけでは不十分です。
解答を見て、答えの出し方がわかることに点数をくれるのであれば別ですが、
当然のことながら、そんなことはありません。

そろばんも同じです。
例えば、珠算の種目である見取算(みとりざん)。
見取算というのは加減算のことです。
見取算は一通り(10級辺りまで)、やり方を理解してできるようになれば、マイナス計算などを除けば初段以上の問題であっても、やり方はわかります。
商工会議所主催の珠算検定の見取算の1級では10桁の数を10個、加減する問題が10題あります。
それを10分で8割の正答を得るというのが合格の一つの目安です。
やはり10級レベルの人は「できる」ものではありません。

珠算や暗算は「わかる」ということにはほとんど意味がありません。
「わかる」から「できる」ようにするには、どうすれば良いか。
どのように練習をすれば効率よく身につくのか。
これは個人個人の弱点やクセなどもあるので、一人一人に合わせた形で練習をしてもらうのが効率的ですし、それを見極めて指導するのが珠算指導者の使命だと思います。

書店に行ったら珠算の本も売ってますので、やり方を学ぶことはできるでしょう。
しかし、書店の本だけで「できる」ようになった人を私は知りません。
なぜなら書店の本だけでは練習量が足りないからです。

当たり前のことですが、珠算や暗算では「良質」の練習を「たくさん」やれば間違いなく上達します。子供たちの「できる」力を育む。それが珠算教室の役割だと当学院は考えています。