「数の感覚」というのはイコール「計算力」ではありません。「計算力」は「数の感覚」の構成要素のうちの一つに過ぎません。今回はこのことについて解説します。
人は、時間や距離を感覚的に捉えています。例えば、
「向こうの電柱まで20mくらいかな」
「もう30分くらい歩いたかな」
などです。
こうした感覚は若干のズレであれば通常は問題ありませんが、あまりに違うと不都合なことも出てくるでしょう。
時間や距離の感覚と同様、人は数への感覚を持っています。万人が持っている感覚ではありますが、この数感覚が高い人とそうでない人がいます。そして、この数感覚はトレーニングで高めることができます。しかし数や数的なものへの感覚の価値が論じられることはあまりありません。なぜなら、この価値の存在に気付かないからです。つまり、数の感覚に鈍感な人は、敏感であることの価値には気付けませんし、敏感な人は、自分が持っている数に対する高い感覚が当たり前過ぎて、それが鈍くなる(低くなる)気持ちがわからないのです。
価値に気付かないという例を一つ挙げておきましょう。
最近のハンドソープはポンプを押すと泡状のもので出てくるものがあります。昔はそうではありませんでした。泡で出てくるものがなかった時代には、泡で出てくる価値はわかりませんでした。泡ハンドソープが発売された当初も
「自分の手で泡立てれば良いじゃないか」
と思った人がたくさんいました。しかし何度か使ってみると、些細なことだけど自分で泡立てるのが面倒くさい、と感じる人が多く、あっと言う間に市場に泡ハンドソープが出回りました。
これが、持って(経験して)初めてわかる価値ということです。
数感覚の価値もこれと似ています。数への感覚、感度の高さは一旦身に付くと病気や事故で脳に損傷を受けるなどがなければ基本的に失われることはありませんし、鈍ることもあまりありません。数の感覚は、それに敏感な人も鈍感な人も、その個人差に気付きにくいので、その価値にもなかなか気付けないのです。
個人差だけではありません。数感覚はトレーニングによって少しずつ身に付けていくことができますが、短期間で高まるものでもなければ短期間で失われるものでもありません。その感覚、感度は徐々にしか高まっていかないので、同じ人であっても数年前の自分と感覚を一気に入れ替えることができない以上、やはりその価値には気付きにくいのです。
そして、見逃されがちなことですが、数の感覚に鈍感であることは、試験や仕事、日常生活でデメリットになることがあります。入学試験や学力試験において、学力不足やミスで片付けられるもののうち、数感覚が高ければ防げた間違いやミスは多数あります。
実際にあった例を2つほど紹介しておきましょう。
一つ目は大学受験での話です。私の友人に物凄く勉強をする人がいました。食事と睡眠時間以外はずっと勉強をしていたと思います。しかし、その彼は、常日頃から数学でのミスが多く、私はいつも
「なぜ、そこが違うことに気付かないんだろう」
と思っていました。もちろん単純な計算ミスもありましたが、それ以外にも
「そんな桁になる訳ないだろう」
「分母と分子が逆じゃない?」
「小数点の位置が違うと思うけどなあ」
なども多く、私が「感覚的に違う」と感じるものが少なくありませんでした。彼は計算を機械的にこなしてるだけで、感覚として「何か違う、何かおかしい」ということに気付けてなかったのです。計算力だけが原因なのかと思って、「間違ってる問題を電卓でやってみたら?」と提案して電卓を使って解き直したのですが同じ間違いをしていました。
これが数感覚の正体です。
電卓を使っても機械的に計算してるだけでは「感じる」ことができないのです。残念なことに彼は共通一次試験の数学でやらかしてしまい、その年の受験は失敗しました。浪人した翌年、国立難関大学に合格したのですから、それなりの頭脳の持ち主だったのでしょうし、数学での失敗がなければ現役で合格してても不思議ではない成績でした。数感覚に疎いことの恐ろしさを実感した出来事でした。
もう一つの例は仕事での話です。私が実際に参加したプロジェクトでのことです。私がリーダーだったのですが、メンバー、仕事量、納期までの時間、必要なコストと予算を、メンバーごとの得手不得手、優先順位などを考慮に入れアロケーションする(割り当てる)必要がありました。当時、プロジェクト管理の為のソフトがあってそれを使うことになっていたのですが、出てきた計画に私はとても違和感を感じました。入力したデータに間違いはありません。当時の上司と相談しましたが、そのソフトが出した計画の通りに進めることになりました。コスト的にもっと高くなると感じたのですが、単純に計算をしても多少は超過するものの行けるだろうとの判断だったのです。結果、やはり私が最も違和感を持っていたコストの部分が大幅に超過し、プロジェクト終盤でかなり大変な修正を余儀なくされました。今となってはソフトの不具合だったのか、設定の不備だったのかはわかりませんが、もっと突き詰めるべきだったと思っています。
こうしたことは計算力が足りないとか、仕事ができないとかで片付けられることが多いのですが、数感覚の欠如が原因のケースが実は非常に多いのです。感覚なので、なかなか言葉では伝えにくかったり、いくら言葉を尽くしても伝わらないのがもどかしいですが、冒頭に書いた時間や距離の感覚と似たようなもの、と言えば少しはご理解頂けるのではないかと思います。
そろばんは、この数の感覚を鍛えるのにとても有効です。なぜなら、表面的な数字の操作ではなく「数」そのものの認識や感覚を強化できるからです。こちらは大人向けに書いたコラムですが、参考になることも多いので是非、併せてお読み下さい。
大人になって、そろばんを習っていた良かったと思っている方は意外と多いのですが、それが数の感覚が高まったからと気付いている人は割と少ないようです。「圧倒的な計算力がついたから」というのが理由として挙げられることも多いですが、実は隠れた価値として、数の感覚が高まったということは見逃してはならないと個人的には思います。
ただし、数感覚のトレーニングでそろばんを習う場合は注意点が一つだけあります。それはある程度の期間は続けるということです。1年くらいやって少し計算力がついたからと思って止めてしまっては数感覚をつけることはできません。期間の目安としては最低3年、珠算検定の目安で言えば最低2級程度まで頑張れば、数感覚を高めるという点では効果を得られるということは言えるでしょう。
川西珠算学院では目先の検定試験だけを目指すことはしませんが、3級以上は商工会議所の珠算検定を受験します。これは後にやってくる入試に対しての準備という意味合いがあります。いくら数の感覚を高めても受験の会場で緊張して実力を出せないと宝の持ち腐れになります。普段の教室ではない会場で、周りの受験者も知らない人の中で、緊張感を得ながら珠算検定を受けることは子供たちには非常に有益な経験になります。